2002年 初段昇段 武田 浩樹
 この度、昇段審査を受けさせて頂き、誠にありがとうございました。 これからも極真の黒帯に恥じぬよう稽古に精進してまいります。
 幼いころより武道愛好家の父や兄の影響で「武道」には興味がありましたが、きっかけを作れないまま社会人となり何かを始めなくてはとの衝動にかられ20代半ばで拳 法の道場へ入門しました。腕っ節を強くしたいなどの考えは無かったのですが、技術 を習得していくにつれ他の流派に興味を抱き、実戦空手を見たくなり、当時の極真北 海道大会を観覧しに行きました。
 試合会場で必死に戦う選手の姿を目の当たりにした自分は「あそこで試合をしてみたい」と強い衝動にかられ、 拳法の道場を退会し、当時の極真空手北海道支部へ入会致しました。
 極真空手は「衝撃」でした。上段をバシバシ蹴られ、中段や下段をガンガン決められる。
立っている事すら 出来ないその圧倒的なパワーとスピード、そして打たれ強さ。自分に続けられるだろうかと弱気になる事も多々ありましたが、 努力すれば必ず強くなると信じ、自分に負けないように努力しました。
 入会して2年ほどすると外舘師範が連盟に復帰するとの話するとの話があり、意を共にさせて頂き、自分も晴れて 「国際空手道連盟極真会館」の一員として登録をしていただきました。
 平成12年に自分は転勤で札幌から東京へ移住し、当時の国際武道センター(現総本部道場)へ移籍しましたが、 当時の印象はあまり良くありませんでした。仲間意識が薄く、武道を学ぶ神聖な場所という意識もあまり感じられませんでした。 しかし伊師師範の道場改革で見違えるほど良い道場となったと思います。道場生の多くが他人の心配が出来る連帯感のある 道場へと変わったと思います。自分も指導のお手伝いをしたり、総本部道場の選手として大会にエントリーしたりしましたが、 セコンドや応援してくれる道場の仲間がいるのは心強いものを感じました。
 総本部道場は自分のような「北国」北海道出身や「南国」沖縄県や九州出身の方々がいます、勿論日本各地や海外の道場生もいます、 異なる四季や環境で育ってきた人間が一つの道を極めようと切磋琢磨して友情を深める、大きく見れば空手着が有れば世界各国の支部・ 道場で同じ空手の道を学ぶ事が出来る、極真とは素晴らしい世界組織だと思います。
 この4月より転勤で札幌へ戻る事となり北海道支部外舘道場へ復帰させて頂きますが、総本部道場で学んだ色々な事を活かして 北の大地で稽古に汗を流します。
 最後に、いつも励ましてくれている愛する妻の協子と、娘の静莉奈に感謝します。
「ありがとう」 
押忍


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2002年 2段昇段 小林 清亮
 1992年11月、ニューヨークにある金村道場の門を叩き、 1995年5月に行われた昇段審査で初段を修得。約7年振りとなる昇段審査に、この度臨む事となりました。
 今回は国内からはもちろんの事、海外からの受審者も多数参加の為、2日間に渡り審査が行われました。 当日は、緑代表をはじめ海外を含む師範方が厳しい目を光らせる中、気合いのこもった和太鼓の音とともに審査は開始されました。 礼儀、基本、移動、基礎体力、型、組手…、当たり前ではあるが空手家としての総合的なものを問われ、なおかつ 非常にレベルの高いものが要求されました。
 緊迫した空気の為か、基本、移動、型で躊躇する者、連続組手では鼻を折られる者や止むを得なく負傷により途中で ストップをかけられる者…、過酷な2日間は様々な空手家達による心・技・体による素晴らしい空間が生み出され、 無事終了となりました。
 この度、弐段の帯を締めるにあたり今一度初心に戻り、空手、そして自分自身を見つめ直し“基本、型、組手、試し割り、 口頭で空手理論も説明出来る”、そんな空手家に一歩一歩近づけるように日々稽古に精進したいと思います。
 最後に、日頃から指導して頂いている師範方、稽古を共にしている先輩方、後輩達、そして昇段審査を受けさせて頂いた 極真会館組織には、多大なる感謝の意を申し上げます。有難うございました。
押忍


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2002年 2段昇段 砂川 久美子
 久々の昇段審査、初めて黒帯を締めた日から豪州に渡るまで、全くと言っていい程 弐段の昇段には興味がありませんでした。日本では、師範から言われたことに対して疑問をあまり持たなかったし、 持っていたとしても質問をするという事などほとんど無かった私には、豪州の道場生や先生からの質問には 頭を抱えることが多かったです。私はそれまで稽古をただただ一生懸命やっているだけでした。気合いを大きく、稽古 に集中し、手を抜かず、教わるままに続けていました。大袈裟に言えば、そこには自分の考えというものは存在しませんでした。
 その後は弐段昇段に“興味がない”ではなく、弐段を意識する事が“恥ずかしい”に変わっていました。実際修行年数だけが 二桁に達し、【空手】というものを何も判っていない事に気づかされていました。外面的には稽古は一生懸命だし、 出席日数は内弟子と間違われるくらい多かったし、他人から見ると良い生徒だったかもしれませんが、ただ中身は空っぽでした。 私には、考える力・意識力・内観力が欠けていました。上京してからは、伊師先生の指導のもと、空手だけではなく 日常生活・歩き方・姿勢・呼吸・心の持ち方等…本当にうるさいくらい、口を挟んで!?頂きました。
 よく言われているのが、『すべてはリンクしている』ということです。点で見ないで線で見る、線で見ないで面で見る、 面で見ないで立体で見る、立体で見るからそこには重さが生まれ、体積や容積、密度が生まれるからこそ“感覚”が生まれる、 枝先だけ見ないで根っこの部分を見るように、物事の本質を見れるように…。
 昨年のワールドカップの後、私は無性に海外の大会に出たいと思い、伊師先生に相談したところ、「試合よりも来年の昇段審査、 海外からも受審者が来るから、それ受けたら…」と言われ、そこで初めて昇段審査を意識し始めました。そして、 3月16・17日の2日間の審査、朝から少しの緊張感と晴れ晴れとした気持ちがバランスよく、とても良い状態でした。 ワールドカップの時とよく似ていて、妙に肝がすわっていました。今回の審査は、最初から最後まで集中して意識して気合いも入り、 何よりも自分の中で楽しみながら出来た事が良かったです。(実は、もう3種類移動が増えていたら集中が途切れて危うく 投げやりになりそうな自分がいたりしましたが…)今回、基本が始まったばかりの頃から審査の最後まで審査委員会からは 耳が痛〜い言葉を掛け続けられていましたが、その言葉が理解出来ていたので、その言葉を実感しながら自分の出来る限りの事を やり遂げました。
 2日間というのは初めての経験でしたが、率直な感想は『楽しかった』です。審査の最後に、この審査は「受審者はもちろんのこと、 受審者を通してその指導者・先生・師範の審査でもある」という言葉を聞き、凄く嬉しさを感じました。微量かもしれませんが、 恩返しが出来たかな…と。身体で感じている感覚(まだ確実にではありませんが)を上手く言葉で表現したり、言い表したりする ことがまだ出来ませんが、少しずつ自分の身体で感じられるようになってきていると思います。一生続けられる空手・ 誰にでも出来る空手・選手を引退しても興味を持ち続けられる空手・生活に活かせる空手を目指して頑張ります。 今後は、目標を置くにしてもそこに行くまでの経緯を大事に考えるようにしたいと思っています。
押忍


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2003年 初段昇段 砂川 美佳
 理想と現実。自分の中で作り上げられていた黒帯像があった。『別格』黒帯はまさにそんな存在であった。
いつか手にしたいと思いながらもそれはまだ先の話であり、どこか他人事のような気がしていた。そして今、気が
付けば私がそこに立っている。
 4年に1度の世界大会後の『特別昇段審査会』という響きに心奪われ、今年はじめに掲げた抱負の一つである『チャンスを 無駄にしないこと』という言葉に背中を押されて今回の受審に至ったのだが、今になって「昇段」という言葉の重みに気づい てしまった。たくさんの温かい祝福を受け喜びを実感していたそんな時、自分の現状を再確認し、目の前が真っ暗になった。 とつぜん高く・分厚い壁が現れたような、そんな気がする。
 空手をはじめてから本当に色々な経験をした。アザだらけになって足をひきずっている娘の姿に、父はどんな思いがしたの だろう。「男の子を三人産んだ覚えはないけどねぇ」とよく冗談を言っているお母さん、娘らしく育たなくてごめんなさい。 丈夫に産んでくれてありがとね。本当は大好きなピアスもマニキュアも無縁の日常生活となってしまったが、それでも私は自 分が幸せだと言い切れる。たくさんの出会いがあり、果たすべき夢がある。
 さて、自分で描いた黒帯像に程遠いこの現実。早くも転んでしまいそうな私だが、納得いくまでやるしかない。家族も仲間 も先生も、みんな巻き込んでしまうけど、それでも私が決めた道。険しい道こそ、また魅力的かな。
押忍


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2003年 初段昇段 佐野 英雄
 1996年広島支部尾道道場に入門。憧れの極真カラテの道着に袖を通した。そこで凄まじい光景を目の当たりにする。『これが 極真の10人組手か!?』『凄すぎる』極真の黒帯を締めるにはこれほどの難関を突破しなければならないんだ。その瞬間黒帯の先輩 たちを尊敬した。そして何よりも『かっこいい』そう思った。自分もいつかは黒帯に…。
 それから7年の月日が経ち広島の山の中で正拳を突いていた私は総本部の一番前で号令をかけていた。しかしまだ茶帯である。い つしか目標も見失い、ただ何となく稽古をしているだけであった。
 『このままではいけない』
 あの時見た凄まじい昇段審査に挑戦しなければ…。
 ちょうどその時伊師師範から昇段審査を受けてみないか?と声をかけて頂き2003年3月IKO昇段審査に挑戦することに。事実上 極真会館として最後の昇段審査会である。しかし結果は不合格。やはり極真の黒帯になるのは甘くない。反省した。物凄く反省した。 今までやってきた全てを。
 それから空手に対する意識を180度変化させ稽古に励んだ。
 『次こそは絶対に。3度目はない』目標を持って行う稽古は充実感があった。そして迎えた2003年10月新極真会となって初 のIKO昇段審査会。4年に1度の世界大会の後とあって海外からの受審者が多数いた。自分が10人組手を終えた時には夜中の12時 を回っていた。今までやってきたことを全て出し尽くした。もう悔いはない。結果は合格。『やった』もしかして今まで生きてきて 一番嬉しかったかもしれない。
 『これで自分も極真の黒帯だ』
 入門当時、黒帯がゴールだと思っていたが、どうやら黒帯がスタートのようである。初心に返り、新たな目標に向かってこれから も頑張っていこうと思います。私を支えて頂いた全ての皆さんに『ありがとうございました』
押忍


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2005年 初段昇段 伊藤 直克
 ずうっと、忘れ物をしている気分だった。
 一九七七年、神奈川本部横浜道場に入門した。高校一年の初夏である。当時はまだ「空手バカ一代」が連載中で入門者は月に50人を超えていたそうだ。 「一月経って残っているのは十人、半年後にその半分、一年経ったら一人いるかいないかだ。」入門手続きをしている時に指導員の先輩にそういわれた。覚 悟して来いということだ。当時既に、柔道の黒帯を持っていた私は、一年といわず黒帯を取るまでは続けるつもりで入門したのだ。しかし、甘かった。翌日 の稽古で思い知らされる。見よう見まねでやっている基本稽古についていくだけで必死だった。師範は竹刀を振り回し気合いを入れる、鬼の形相(そう見えた) の指導員はハイスピードで号令をかけていく。そうでなくても緊張しているのに、あっという間に自分の限界を超えた。気分が悪くなって吐き気をもよおして 道場の庭にある流しへ。先客がいて白帯同士気まずい視線を合わせた。「一月経って残っているのは十人」を実感した。三ヶ月が経って「初心者」から「白帯」 と呼び方が変わった頃は少し体も慣れてきていたが、組み手に参加することになる。当時はサポーターなどない。「下の者は先輩の胸を借りて思いっきりぶつかれ!」 と師範の言葉通り全力でぶつかると、あっという間に効かされて道場中あっちこっちへとド突き回される。「参りました。」といえば終わるがボディーが効いて いて声が出ない。結局時間いっぱいド突き回される。黒帯の先輩と組手となると又勝手が違う。叩いたらこっちの手が痛い、蹴ったら自分の足が痛い。もう人じ ゃないと思ってた。この世に鬼がいるとしたら、極真の黒帯こそが鬼だと思った。しかも拳と足が鋼のように硬い。金棒を身につけた鬼だ。黒帯の先輩に初めて 蹴られた腿の痛みは今でも覚えている。しかし極真の稽古がいかに効果があるか、身をもって知ったのもその頃。入門して何週間か過ぎた頃、学校で体育の授業 の為着換えていると「なんだ、その身体」と友達が驚いた。べつに痣だらけってワケじゃない。背筋がバンと張って体つきが変わっていたのだ。瞬発力、短距離 走、走り高跳びなど、運動能力が格段にアップしていた。
 一年半が過ぎようとした頃、まだ白帯を締めていた私は指導員の先輩に「おまえいい加減に審査受けろ!」と言われた。道場内では私語絶対禁止、押忍しか言 えない。談笑しようもんなら鉄拳制裁が待っていた。冗談みたいな話だが、黒帯の先輩に話しかけるのも恐ろしく、審査については先延ばしにしていて一年半が 経ったのだ。
 審査当日、大山総裁が現れた。当時はまだ館長と敬称されていた。初めて会うゴッドハンドは非常に優しく柔らかい印象を受けた。極真空手の激しさ、荒々し さをすべて包み込んでしまうような寛大な優しさを感じた。審査終了後百人を超える受審者は一人ずつ話しかけていただき、握手をしていただいた。総裁自らが 整列した受審者を巡って声をかけてくださる。最後にこんな話をしてくださったのを覚えている「空手の道は終わりがないよ。私は今でも夜中に起きて拳の握り 方はこれで良いのかと考えることがあるよ。」すうっと、どこか未経験の高みへと連れて行かれた様な気がした。
 その後半年、黄帯で私の空手修行は終わる。怪我をして休会。学費をアルバイトで工面していたので大学進学のため退会した。
 それから二十年ほど経つ。三十七歳になろうとしていた。寝る間もないくらい仕事をしていた。それほど没頭できる仕事をできるのは幸運だったが、何か忘れ 物をしている気分でいた。もう一度空手をやりたいとは思っていた。しかし自分が空手の何に惹かれているのか、二十年も経つとぼやけてもいた。「あと三年で 四十歳。今やらなければ黒帯にはもうなれないかもしれないなぁ。」ふとそう思った。忘れ物を取りに行こうか、いっそ忘れてしまおうか。二十年間そんなもど かしい気分が、空手に対する思いを支配していた。黒帯を取りに行こうと思った。
 一九九九年六月国際武道センター(現総本部道場)に入門。白帯を締めて最初の稽古。十代の頃とは身体が違う。頭では十代の頃の動きをイメージしている、 しかし、動かしている身体は全く別の動きをしている。現実に愕然とした。体重も二十キロ増え(もちろん筋肉じゃない)二度の交通事故で膝と背骨にダメージ がのこる。幸い身体が基本を覚えていてくれたのだが、先は長いなぁと途方に暮れる。「極真も変わりましたから」とは入門時の指導員の先輩の言葉。量から質 を求める稽古へと。それは伊師師範が着任されてからより実感できた。いや実際は量も多いのだが、質という目的のはっきりした稽古は楽しい。続けていけるか ?から、楽しいへ変わるまでそう時間はかからなかった。仕事は相変わらず不規則で、毎年5、6ヶ月は休まざるをえない。久しぶりに稽古にでると、若い道場 生は上達が早く、焦ったりもしたが、総本部は楽しい道場である。常に前向きにさせてくれる。そう導いてくれる伊師師範、諸先輩がいて、人数は減ってしまっ たが励まし合える同期がいて、追い上げてくる後輩がいる。昇段できたのも皆さんのおかげだと思っています。ありがとうございます。
 最初の入門から黒帯を手にするまで二十七年もかかってしまった。今年で四十三歳になるが一つ判ったことがある。生きてる内に、好きになれること、夢中に なれることなんて、そうそう出会うことはないという事。これからも空手を楽しんでいきます。押忍。


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2005年 初段昇段 岩間 あき
「自分に言い訳をしない」
「自分の力で立ち上がる」
空手を始めて四年半。
苦しいときにいつも私を支えてくれた先輩の言葉です。
ある時、その先輩は女子がほんの少ししかいなかった総本部にやってきました。
その人物、砂川久美子先輩は強いのはもちろんのこと、組み手においては無駄な動きがなく、また型においてはまるで空気を切るように動き、本当に格好良く衝撃的でした。 私の目指す空手が決まりました。
それからは稽古にも積極的に参加するようになり、怖くて苦手だった組み手も少しずつ上達していきました。
しばらくして今度は、妹の美佳先輩が総本部にやってきました。
久美子先輩とは組み手のスタイルこそ違えやはり強く、またまた衝撃的でした。
「美佳先輩もかっこいい!」
それからしばらくの間、私はどちらのスタイルを目指そうか真剣に悩んだのでした。
(結局真似ても無理だと分かり、自然と自分に合った動きをするようになりましたが。)
そしていつの間にか、あんなに組み手が苦手だった私が試合に出場するようになり、とうとう交流試合で優勝することも出来ました。自分でも驚きました。
砂川姉妹は、私をはじめ総本部道場生に多大なる影響を及ぼしました。 
国際セミナーの中で行われた今回の昇段審査会にも、ワールドカップ直後にもかかわらず砂川姉妹が一緒に参加してくれた事はとても心強かったです。
また、これまで言葉を交わしたことのなかった師範方や先輩方が次々と声をかけて下さった事、さらに、セミナー中同じ宿で過ごした海外の参加者の方々も応援して下さった事は、様々なプレッシャーの中で受審した私にとって本当に有り難いものでした。
 こうして私は、総本部'純粋培養'の黒帯第一号となりました。
拳立てすら一回も出来なかった私がここまでこられたのも、砂川姉妹や諸先輩方、道場の仲間達に支えられてきたからです。
そしてなによりも、総本部をより良い道場にするためいつも一生懸命な伊師師範の指導があったからこそです。本当に有り難うございました。
 私が砂川姉妹を目標にしてきたように(もちろんこれからも!)今後は私が後輩の目標となれるようさらに頑張っていきたいと思います。
 最後に、今回は昇段をお許しいただき本当に有り難うございました。
押忍


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2006年 五段昇段 伊師 徳淳
今まで昇段審査に関して初段位以外は、全て大山総裁から「君ぃ受けなさい」の一言で受審してきました。いまから11年前に受 審した四段位の時は、1993年11月、最後に総裁と面談した時でした。当時の池袋総本部の館長室でオーストラリア支部長認可を 受け同時に四段位取得を促がされたのですが、翌年にその当時住んでいたオーストラリアから日本へ帰国することが出来ず、同 年に大山総裁が他界してしまったので、その翌年1995年に自分の生徒を連れて当時の池袋総本部で総裁との約束を果たす為に受 審しました。しかし自分の師が他界した時にもう、それが自分にとって最後の昇段審査であると漠然と考えていました。
あれから11年経ち、生活環境も大きく変わり、日本に帰国し、大きな怪我や病気もし、目まぐるしく変動した年月でしたが、 不思議と段位や肩書きに対する執着は当時海外に住んでいた時ほどはなくなり、代わりに日常に忙殺されている自分がいました。
総本部の事務局に入り、現在の総本部を任され、そんな中で国内外を指導する機会も増え、出会う人達も増え、見る風景も変化し 色んな意味で刺激を受けながら、変わっていく自分と、変わらない自分、また変えられない自分もいましたが、しかし空手への思 いは当時の大山総裁に抱いていた感覚と同じく変わらないものでした。心身は確実に様々な意味で変化をしていましたが…
そんな中、海外の支部長が世界大会後の特別昇段審査会で不合格となったのを励ます意味で昇段審査を一緒に受審しようと伝達 したところ、一気に自分等の中に「期限」というものが出来、そこからは見えない「期限」との葛藤が始まりました。自分の師 の他界と共にもう受審することはないと思っていた審査会という、止まっていた時計の針が再び動き始めました。自分でも何故 そんなことを言ったのか今でも良く分かりませんが、当組織で行なう実力昇段は五段位までですので、本当の意味での最後の昇 段審査会が現在指導を任されている総本部道場で受審する形になったのはいい意味で自身のモチベーションを上げてくれました。
しかし実際審査が終わってみて、現実として四段位取得から11年という歳月が教えてくれたのは「衰え」という二文字だけでした。 出来る限りの事は自分なりにしたつもりではいましたが、自分の理想とする空手に益々辿り着けないでいる「今」を知るという事実 は正直へこみましたが、いい体験でもありました。
今まで常にある程度の達成感を審査会では感じてきましたが、今回の昇段審査会では全くそういった感覚を得る事は出来ず、まる で不合格になったかのような感覚でした、まさか最後の審査会でこんな感覚になるとは思いもしなかったので、本当に不思議な感 じです。

そこに今回受審したメッセージがあるのかとも考えています。過去に初段位を不合格になった経験を持ち、成功体験よりも失敗体 験の方が多い自分は、どんな状況からでも学ぶべきと、常々肝に銘じてはいますが、いまこの昇段レポートを書きながらもまだ整 理が出来ていない自分がいるのを正直感じています。
この何十年と空手から沢山の事を経験し学ばせて貰い、またそういった機会を与えて貰っている状況に感謝すると共に、少しでも 自分が得てきた経験を次世代にも伝えて皆で高まっていけたらと願ってやみません。昇段レポートとしてはあまり相応しくないレ ポートですが、今回の受審は「今」と「これから」を見直すいい機会になりました。
初段位と最後の五段位だけは自分の意思で受審した昇段審査会でしたが確実に学ぶ場を与えて貰い審査会という一種独特の場を提 供して頂けたことに感謝しています。
最後に指導する立場でありながら様々な形で自分も学ばせて貰っている全道場生の皆さんへ感謝すると共に、昇段するきっかけを 与えてくれたロシアとウクライナの支部長にも感謝します。そして自分をここまで導いてくれた故大山倍達総裁に心から感謝して います。

ありがとうございました。
押忍


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2006年 参段昇段 小林 清亮
年に一度、総本部で行われる昇段審査会は全ての行程に於いて高い水準の心・技・体を求められる、大会とはまた違った独特の緊張感が 漂う二日間である。  毎年、私は総本部道場の指導員という立場もさることながら、自分自身の修練の一つとして掛け組み手の相手も務 めさせて頂いてる。それ故、受審するにあたりそれ相応の準備が必要となり、ましてや合格するには容易な事ではない事も充分承知して いた。しかし、去年の昇段審査会の終了直後に私は、「来年は必ず受審しよう!」と何故か強い衝動に掻き立てられた。
街中に年末ムードが漂い始めた師走の頃、総本部道場には昇段審査会に挑戦する人が名乗りを挙げだし、年が明けた頃には審査会に向け、 道場は俄然熱気を帯びだした。 私も審査会に向けて集中した稽古をしていたが、一抹の不安…いや一抹どころか、ここにきて受審を見送 らなければならない様な問題があった。“型”である。 その時の私は恥ずかしながら、普段稽古を共にする本部道場黒帯の中で一番“型” が出来なかった。「マズイ…」 とにかく特訓するしかなかった。 道場では勿論の事、眠りに就く前には頭の中で“型”を行い、朝になり 目が覚めだすと同時に、頭の中では“型”が行われる。気が付けば日中も私の頭の中は“型”に支配されていた…当然、気持ち的に余裕が 無くなり、日常の生活にも支障をきたしだす。今思うと弱い自分自身の気持ちが表になり、必死になっていた様な気がする。それでも日々 葛藤しながら稽古を積んでみた。
 審査会も直前になり調整段階に入ったある日、感覚を研ぎ澄ませようと思い海へ向かった。冬の低気圧が抜けたせいもあって海は荒れ ていたが、沖では二階から降って来るような波が、音を立てて割れている。打ち寄せる波に何度ものまれながらも、沖から割れる波をつ かまえ自然と調和した。帰る時には既に心は落ち着き、後は当日に平常心で臨むだけだと思った。
審査初日、あれほど悩まされた“型”であったが 、連続組手へと移行出来たという事は何とか基準をクリアーしたのであろう。しかし私 自身としては、披露した“型”にはまだまだ稽古が足りないと痛感した。とにもかくにも、大半の受審者を悩ませる“基本”“移動”“型 ”の行程をパスしたのだからと、気持ちを切り替え翌日行う事になった連続組手に集中しようと思い道場を後にした。
審査二日目、既に初日の後半から厳しく、妥協の許されない連続組手は行われ始めていた。その余韻を充分に感じさせる雰囲気の中、次 々と先輩者達は果敢に挑戦し完遂してみせる。見事であった。そして、いよいよ私の番である。直前に日頃から事務局の激務に追われてい るにも関わらず昨年の昇段審査会に挑戦し、数多くの受審者の中でも強く私の心を打った一人である小井先輩からアドバイスを頂く。「先 ずは五人、次は十人。その後は自分を崩す事なく流れに乗って行くだけだ、頑張れ!」、心が落ち着きやる気が出てくる。連続組手も終盤 に差し掛かったところで緑代表からも叱咤激励を頂いた。必死になり最後まで心が乱れない様にと努めた。
 組手の出来は良かったのか、悪かったのかその時の私には正直分からなかった。ただ不思議な空間の中、無我夢中で動き、妙な感覚だっ た事を覚えている。
 審査会の最後に合格者の発表が行われ、同時に審査委員の方々からも総評及び、今後の心構え等の言葉を頂いた。どれも心に届く言葉で あった。
今回、私は幸いにも合格する事が出来た。当然、数々の課題点は存在するだろう。しかし、この結果には素直に喜び、強い信念、自覚、自 信を持ち、新極真会参段の帯を締めたいと思う。そして、これからも「生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うする事」という言葉 のもと、日々の生活、稽古、指導、大会、道場を通じて得る人間関係等を大切にしていきたいと思う。そしてこれからも空手を楽しみ、学 んで行きたいとも思う。何故なら、私は空手が好きだという事に外ならないからだ。

最後に、今回昇段審査の受審を承諾して頂きました緑代表始め、組織各位、審査委員方々、当日掛け組手の為に集まって頂いた方達、普段 から公私に渡り指導を頂いている師範、先輩方、稽古を共にしている同輩、後輩達には、この場をお借りし多大なる感謝の意を申し上げた いと思います。有難うございました。
押忍


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2006年 初段昇段 宇津木 裕之
この度は昇段審査を受けさせて頂き、また昇段のお許しを頂き、誠に有難うございました。極真空手を始めて8年9ヶ月、総本部に 移籍してから1年間、皆様のお力添えのもと、何とか念願の一つである黒帯の取得が出来ました。
 今から8年9ヵ月前、早朝から深夜まで仕事に没頭する日々の連続でした。運動する時間も全くなく、このままでは精神的に駄目 になってしまうと思っていました。そんなある日営業で外回りをしていると、道端の看板の極真空手のチラシが目に飛び込んでき ました。空手着を着た怖そうな写真と記載されていた師範の経歴を見ただけで、凄そうな道場だと感じました。この道場が私が空 手を始めた横浜木元道場であり、総本部移籍までの7年9ヶ月お世話になった道場でした。
 極真空手とはどんなものだろうと期待と不安の面持ちで、道場見学に行きました。その稽古の凄まじさに驚き「こんな稽古をし ていたら間違いなく強くなる、これが極真空手か」それが第一印象でした。稽古に感動した私は是非自分もやりたいと、見学直後 に入門届けを出しました。忙しい日々が続いておりましたが、水曜日の夜、土曜日、日曜日と、何とか週3日稽古に出るよう努力 しました。木元道場では基本を丁寧に教えて頂き、組み手もたくさんやりました。組み手では常に自分より上の帯の先輩を倒そ うと、白帯の頃は青帯の先輩を、オレンジ帯の頃は黄帯を、青帯の頃は緑帯を倒そうと考えていました。また同じ帯の稽古生に は絶対に負けないという気持ちで挑んでいました。もちろん何度も倒され、悶絶させられたことも数多くありました。空手を初 めた頃はあざだらけになり、毎日体に湿布を貼っていました。そのような中でたくさん稽古をし、木元道場で1級まで取得するこ とが出来ました。
 極真空手を始める前の自分を知る友人には、空手を始めたことにより性格が積極的になった、攻撃的(?)になったとも言わ れたこともありました。厳しい稽古をすることにより常に自分自身の中で「いつも厳しく辛い稽古をしているのだ、稽古以上に辛 いことはない」と言い聞かせることができ、忍耐強い人間になっていることも実感できるようになりました。
 その後会社での異動があり、職場から道場までが遠くなり、自然に稽古に行く機会が徐々に減ってゆき「このままではいけない 、空手をやりたい」と思い、長年お世話になった木元道場から、総本部道場へ移籍することにしました。
 各々の道場にはやはりそれぞれの色を持っており、稽古内容の違いにとまどうとともに、新鮮さも覚えました。総本部道場では基 本稽古や移動稽古の中で、いかに美しく、力強く、かつ合理的に体を動かすかということを教えて頂いております。伊師師範をはじ め、黒帯の先輩の動きを見るたびに、美しさと力強さを感じております。今後は私自身が黒帯になるということで、後輩からの目標 の存在の一人となれるよう努力しなければと痛感させられました。
 今回の昇段審査ですが、審査の1週間前になっても「本当に受けてよいのか、このまま落ちるだけなのではないか」と心配でした。 今回も日本全国、世界からも昇段審査を受けに来られ、厳しい審査になると聞いておりました。前半の基本で落とされたらと不安も よぎりました。審査では体力がどこまで持つか分かりませんでしたが、出来る限りの力を出し、審査が終わったら倒れても良いとい う気持ちで、突き蹴り一本一本に全神経を集中させ、いつもより更に気合を入れ望みました。拳立てやスクワットも何とか規定の回 数をクリアでき、前半が終わった時は「人事を尽くして天命を待つ」という気持ちでした。
 その甲斐あって、何とか前半の審査に合格することが出来ました。「この後は組み手だ、恥ずかしい組み手は出来ない」と、今度は 別の不安が出てきました。組み手の相手をして下さった方々には師である伊師師範をはじめロシアからの昇段審査の受けに来られた方 々、全国から来られた先輩方を含め、試合のような感覚で組み手を行いました。外国人の方とガチンコで組み手をやる機会は今までで もほとんどなかったため、不安と期待でいっぱいでした。途中まで好調に攻めていましたが、ものの見事に一本負けをした組み手もあ りました。組み手審査の中でも自分の良いところ、悪いところ両方出て、非常に勉強になる組み手の審査でした。
 私の審査が終わった翌日、土曜日に組み手審査がなかった先輩方の組み手がありました。組み手の相手をされるため、全国から多数 のトップ選手が来られました。40人、30人、20人組み手、壮絶な組み手の数々に、自分もまだまだこれからだと痛感させられました。

 私が現在所属する総本部には世界から選手が来られることもよくあります。その方々からも、空手発祥の地である日本の空手は組み 手だけではなく、基本の動き、型の細部に至るまでも素晴らしいと思わせることができるような空手を目指し、今後も精進したいと思 います。最後に日頃からお世話になっている伊師師範、黒帯の先輩方、一緒に稽古している稽古生の皆様、お忙しい中組み手の相手を して下さった皆様、今まで長年お世話になった木元師範、木元道場の稽古生の皆様、全ての方に感謝したいと思います。今後も努力精 進し、目標を高く持ち頑張っていこうと思います。有難うございました。
押忍


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2006年 初段昇段 斉藤 悠
空手を始めたきっかけは大学の入学式後のサークル勧誘でした。それから4年、念願の黒帯が取得でき、うれしさでいっぱいです。 昇段審査を受けることを決めたのは今年に入ってからでした。今年3月に卒業であり、今年の審査を逃すと次にいつ審査を受けるこ とができるか分からないこと、そして4年間の練習の成果を試してみたかったことが受審の理由でした。昇段審査の大変さを先輩方 より聞かされており、体力的にもつのかどうか、また総本部での審査となるため世界中より選手の方々が集まり組手のレベルが高く なることが予想され、10人組手に耐え切れるのかどうかなど審査に対して不安でいっぱいでした。結果、黒帯を取得できることと なり黒帯の持つ意味の重さを感じています。
 今まで熱心に指導をしていただいた伊師師範にこの場を借りてお礼を述べさせていただきます。黒帯を新たなスタートとして今後 も空手に精進していく所存です。
押忍


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2007年 参段昇段 砂川 久美子
弐段昇段から5年。2007年3月4日(日)参段への挑戦が始まった。
当日の朝、じわじわと緊張感が湧き出した。道場へ向かう手前で緑代表とバッタリ会った。「がんばれよー」と声を掛けて頂いた。 緊張感UPである(苦笑)。

道場に到着するとすでに受審者が道着姿でストレッチや型の確認等をしている。自分も道着に着替え、髪の毛を束ね、気持ちを引き 締め、準備をした。

今回の自分自身への第一の暗示・・・「周りにのみ込まれないこと」。

最前列左側、目の前には三瓶師範がいる。・・・意識をしないようにした。緊張し過ぎて自分の動きがわからなくなるからだ。
基本蹴りに移ったとき「2列目・4列目は前へ」という指示で一歩前へ。その瞬間、見覚えのある顔ぶれが目に飛び込んで来た。身を 寄せ合いながらジッとこちらを見ているのを感じた。総本部道場生である。動揺しそうな気持ちを抑え、、、集中・・・。

「周りにのみ込まれないこと」それは、“昇段審査という雰囲気”にのみ込まれないこと、見学者がいる“見られている”とい うことにのみ込まれないこと、そして受審者(自分以外)の動きに惑わされないこと−違う支部・道場から集まっているので動 きやペースに当然違いがある。自分のペースが崩れてしまうと、宙に浮いた感覚になりしっくり感の抜けた動きになってしまい 、気持ちにも焦りが出てくる。焦るとボロボロになる。自分自身への暗示をなんとか遂行して基本・移動を終了。そして型へ突 入。指定型に加え、今回初試みである得意型(自己申告)を発表する。自分が選んだのは「突きの型」。初っ端で足がマットに 引っ掛かり失敗してしまった。緊張で身体に余計な力が入っている証拠だ。仕切り直し(勝手にすみませんでした。)「突きの 型」を終えた。ホッとしたのも束の間、最後は補強。拳立て50回・ジャンピングスクワット100回。きっちり完遂したかったが 、途中で潰れてしまった。2002年IKO昇段審査会でみた多田修一郎選手のクリオネのような素晴らしいジャンピングスクワ ットが今でも忘れられない。
脚がパンパンのまま一次審査、終了。全力で動き切り無事終了した安堵感と、次へ進めるかの不安感を抱えながら、自宅に戻り束 の間のリラックスタイム。1時間後、第1次審査の発表が行われた。17人中15人が合格した。

二次審査は組手。今年から年齢や受審段位にかかわらず、全員10人の連続組手となった。
自分の出番は2番目。第二の暗示「考えない」「呼吸を腹までで抑える」。
「考えない」−それは残り人数を考えないこと。単純に残り人数を考えてしまうと気持ち的に自分を追い込んでしまうから。「呼 吸を腹までで抑える」−これは呼吸が胸までくると体力消耗が一気にきてしまうから。
こんなにも意識をして昇段審査に臨んだこと、課題をもって臨んだのは初めて。連続組手の最中、腹を効かされ2度ほど集中力が 失われそうな場面がありましたが、持ち直し最後まで動けたこと、それは今回の収穫でした。15年という歳月が過ぎていますが 、自分にとって毎回いい時期に昇段審査を受審できているような気がします。参段に昇段した今、その重さがズッシリと圧し掛か っていますが、また、ここから、“潰れない程度”に自分のカラテ人生を楽しんで行こうと思います。

今思えば、自分が大きな挑戦をするとき、いつも妹が側にいた気がする。今回も遠い名古屋からわざわざ応援に駆け付けてくれた。 ハンガリーで行われた第2回ワールドカップの時も沖縄からはるばるやって来た。このレポートを書いててわかったことがある。
審査や試合「前日」にほとんど緊張らしき緊張をしたことがない。それは、いつもそばに妹がいたからかもしれない。いつものよう におしゃべりをしていて審査や試合のことを考える暇がない、だから、余計な緊張をしなかったのかもしれない。“ありがとう”。 もう一つ“力”になっていること、それは『家族』です。遠い沖縄から常に応援してくれている。そんな家族に『感謝』の気持ちで いっぱいです。“ありがとう”
そして、黒帯になってからも向上し続けられているのは伊師師範のお陰です。
自分のカラテ人生、入門してから黒帯取得まで(例えるならば、「義務教育」の時期!?)を沖縄で爆走し、新天地オーストラリアで 壁にぶち当たり、そして今、東京という無限大の土地で少しスピードを落として歩んでいるように思う。
改めて感じていること、それは、よい師2人に恵まれたこと。
にふぇーでーびる。ありがとうございました。
押忍


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2007年 初段昇段 新井 洋子
総本部道場に入門して、5年7ヶ月。入門して最初に決めた目標を、紆余曲折はありましたが、ようやく達成する事ができました。 初段取得です。これも総本部道場の仲間、新極真会の皆様方のお陰です。本当に心から感謝しております。ありがとうございまし た。

二度目の昇段審査前、伊師先生から「初段になったら、次の目標は何にするの?」と聞かれた事があります。その問いに対する答え は「仕事を頑張る!」でした。でも、なんだか今は違う気持ちです。仕事を頑張るのは、生活の糧であるから当たり前だし、これが 無くなったら、空手もできない。なんだろ?自問自答…。…。むふふっ。これだ!私が、最初に見て衝撃を受けた風景。5年前のボデ ィトレ。一所懸命に懸垂をする道場生に対し、サポートをする師範。なんだか、互いに信頼し合っているように見え、心の繋がりが しっかり築かれているなぁ、と感じたあの風景。人対人。時々面倒になる人間関係。でも、信頼しあえる人間関係を確実に築いてい る関係に憧れを感じました。正直、一言で言えば【おおおっ!!!】です。当時、白帯だった私。黒帯になった今、白帯の時に感じた 憧れを、今度は目標とし、そんな人間関係を築けられる人になれたらいいな、と思います。
総本部道場で心と心の触れ合いを、これからも沢山学びながら実生活にも活かし、どうすれば、もっともっと自分を高めていけられ るか、という疑問を常に持ち続けたいと思います。
そして、稽古に対しては、私の掛け組手の相手をして下さった先輩方のような動きに、少しでも近づく努力をし、 総本部女子部の方が、いつか昇段審査の道を通る時、私も先輩方のような動きのできる、掛け組手の相手を努めることを次の身近 な(?)夢とハードルにしたいと思います。総本部'純粋培養'の黒帯第二号となれた今、目標も新しくなりました。引き続き皆さん 、宜しくお願いします!!!
押忍


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2008年 弐段昇段 武田 浩樹
この度、昇段審査の機会を与えて頂きました故伊師師範殿と受審を許して頂きました外舘師範殿、応援して頂き ました道場生の皆さんへ感謝申し上げます。

 自分は転勤に伴い北海道と東京とを行き来しています、北海道支部外舘道場及び総本部道場とも「行ってらっ しゃい」「お帰りなさい」と言って頂ける暖かい仲間達がいるとても素晴らしい道場です。

 昨年4月の転勤により5年ぶりの総本部道場復帰となった際に故伊師師範より二段を受ける様にとご指示頂き自 分にはまだ早いと思いながらも折角の機会なので落ちて元々と受審を決意しました。
 しかし昨年11月に故伊師師範が突然他界され深い悲しみのなか師範との約束を守るべく今回の審査会には全力 で挑戦致しました、きっと師範は天国から見守っていてくれたと思います。
偶然かもしれませんが師範が他界される前に再度転勤となり、約半年間ですが師範の指導を受ける事が出来た事 をこれからも大切な思い出としていきます。

現在自分は総本部道場で指導員をしています、今後も総本部道場の発展の為に努力し道場の仲間達と共に新極真 会空手の技量と精神を向上して行きます。
自分は仕事で色々な地域へ出張をしますが新極真会の看板を見ると嬉しくなります、今後更なる組織拡大で日本 全国津々浦々に新極真会の道場が出来る事を期待しています。

 最後になりますが、いつも深夜の帰宅にも関わらず食事の用意をしてくれる妻とかわいい娘に心から感謝致します。
押忍


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